整理

部屋に積み重なっている雑誌の整理を少しだけしてみました。
…そうしたらなぜか2004年のイヤーDVDが見たくなりました*1


案の定、何度もじわじわきました。ギドが監督に就任、闘莉王とアレが加入*2、1stではなかなか勝てず、惜しいところまで行きながら結局3位。五輪記者会見では達也がやませの、闘莉王が啓太のユニを着て会見し、オールドトラフォードで世界の強さを実感し。代表戦でツボが大怪我をした時には本気でうちからは誰も代表に入らなくてもいいと思ってしまった。アルパイとネネが加入。今でも大好きな2ndのチームの強さを久しぶりに見た。永井の70Mドリブルや長谷部の雨の中のロスタイム決勝弾。やませの怪我のシーンは何度見ても涙が出る。地面を叩いて悔しがっているのは、一度逆の脚をやった彼だからわかっていたのだろうな。敵となった彼を応援は出来ないけれど(心が狭くてゴメン)でもやっぱり好きなプレースタイルです。エメもやっぱり好き。ナビは10人の相手にPKで負けた。あの時は他サポもすべて10人の東京を応援していて、世の中はみんな敵だと思ったりもした*3。この頃はまだゴール裏ではなくてバックスタンドで見ている頃で*4今の私が見るのとはまた違う視点で見ていたんだろうと懐かしく思ったりもした。記憶はかってに改竄され(…)引分だと思い込んでいた名古屋戦は9人の相手に惨敗だった。でもあの駒場を作るために、新聞紙を沢山切ったり、バック2階の指定席に運んで準備するのをお手伝いしたりしたんだ。万博の試合結果が放送されたときのあのこみ上げた衝動。たかだか1年半(当時)程度のファンでしかなかった私ですらあれだけ嬉しかったのだから、長い間応援してきたサポの歓喜はそりゃあたまらなかっただろうなあ。冬の横浜。私はあの年、長い間風邪を引き続けていて(結局2ヶ月くらい咳が止まらなかったな)あの横浜もかなり無理して行ったのだった。2戦目の埼スタは今でも誰もが「あの雰囲気を」と思っているだろう最高の雰囲気で、5万人以上がただただ一つのことを祈っていた。あれもバックスタンドだったなあ。アレのFKが決まったときの、あの背筋がぞくぞくするような興奮は今でも覚えています。…結局祈りは通じなかったのだけれど。
なんでいまさら見たくなったのかと考えて、やっぱりちょっと疲れていたのだと思う。決して強いとは思えない今のチームに。
でも、あの強くて美しいサッカーをしていたチームでも到達できなかったものに、またチャレンジできているのは紛れもない今のチームなんだ。エメもやませもアルパイもいないけれど、代わりにロビーがいてワシがいる。
今年こそ獲れると信じて。2年前はささやかな応援しか出来なかったけれど、今年は後押しできるように。残り10試合、頑張ります。
え、もちろん全部行く気ですが何か…?(笑)


夜中に書く文章はナーバスでいけません。

*1:よく考えたら、2005年のはまだ見てもいないことを思い出した

*2:アレはあの年、すごく叩かれていたんだよな…

*3:大げさだな

*4:そもそもゴール裏への最初の移動は、アレへの野次がひどくてバックスタンドに嫌気が差したんだった